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新编日语4第八課教育

作者:admin    文章来源:盐田区外国语学校    更新时间:2017-12-27

新编4第八課教育
本文
  日本の現在の教育制度は六?三?三?四制と言われています。これは六歳から始まって、小学校が六年、中学校三年、高等学校三年、大学四年という意味です。そして、義務教育は初めの九年です。
  第二次世界大戦の前まで教育、特に高等教育は一部の人しか受けられませんでしたが、戦後すべての人が平等に教育が受けられるようになりました。
  一九八五年の統計では、高校への進学率にしても、大学への進学率にしてもとても高くなり、アメリカにはまだ及びませんが、それぞれ九四パーセントと三八パーセントに達しています。
  戦後、日本の教育水準は急速に高くなりましたが、いろいろな問題も生まれています。試験に通ることばかり考えて、学校で覚えなければならないことが多くなったために、勉強についていけない学生も増えています。その結果、学校へ行くことを嫌がったり、悪い仲間に入ったりする学生も現われて、家庭?学校?社会にかかわる大きな問題となっています。
  このような問題を解決するには、学校に本当の意味の教育を取り戻すことが大切だと言えます。

会話

(ひろしさんは、今年高校を卒業しましたが、大学の試験に失敗してしまいました。)
父  :ひろし、あれだけ勉強したのに、残念だったな。ああ、来年はがんばれよ。予備校の手続きは自分でできるだろう。
ひろし:できるとも。でも……。
父  :でもって。
ひろし:実は、大学へ行くのはやめようかと思って……。
父  :えっ、何を言っているんだ。お前は兄さんと同じ大学へ行きたがっていたじゃないか。
ひろし:うん、ついこの間までは大学生って何となく楽しそうに見えたからね。でも、もう一年予備校で勉強しても入れるかどうか分からないし……。
父  :大学へ行かないでいったい何をしようと言うんだ。
ひろし:まだはっきりしないけど、しばらくはアルバイトでもしてみようかな。
父  :何を呑気なことを言っているんだ。今の日本では有名な大学を出て、一流の会社に入って、そこで一生働くことが一番安定した道だということが分からないのか。
ひろし:大学なんか行かなくても食べていけるさ。
父  :お前は考え甘すぎるよ。まあ、兄さんが帰ってきてから、もう一度ゆっくり話し合おう。お前の人生にとって大切な問題だから。

応用文

福沢諭吉

  福沢諭吉は、一八三五年一月、大阪に生まれた。
  父の百助は、武士で、漢学にくわしく、りっぱな人物であった。しかし、身分が低かったために、小役人としてがまんしなければならなかった。
  諭吉は、兄ひとり、姉三人の末っ子として生まれた。父は丈夫そうな赤ん坊を見てたいへん喜んだ。そして、「この子は、大きくなったら、坊さんにしよう。」と言ったという。
  当時は、生まれながらにして、家業も身分も決まっていて、武士の子は武士に、農民の子は農民にと、その将来は定まっていた。武士ではあっても、百助のように身分の低い家柄に生まれると、一生下級の武士として終わらなければならなかった。ただ、寺の坊さんだけには、才能と勉強によって出世の道が開かれていた。父が諭吉を坊さんにしようと言ったのは、そのためである。
  しかし、その父は、諭吉が生まれて一年半ほどして、早くもなくなってしまった。母は、五人の子供をかかえて、郷里の中津にもどった。
  諭吉は、すくすくと成長して、大柄な少年になった。
  ある日のことである。兄が、畳の上にほご紙を広げて整理していた。諭吉がそこを通り過ぎるとき、足がちょっと紙に触れたようであった。すると、兄は、大声で諭吉を呼び止めた。
  「待て。おまえには、目がないのか。今、おまえが踏んだほご紙には、殿様のお名前が書いてあるのだぞ。」
  兄は、刀に手をかけんばかりのけんまくである。諭吉は、すぐに手をついて謝ったが、心の中では不満でたまらなかった。「殿様の頭を踏んだわけでもないのに。」と。
  また、こんなこともあった。下級の武士の家は貧しく、家来も置いていないので、酒や油などを買うのに、夜になってから、ほおかぶりをして、自分で出かけるというのが習わしであった。しかし、諭吉は、「自分の金で買い物をするのに、何か恥ずかしいものか。」と、昼間、ほおかぶりもせず、堂々と買い物に行った。
  諭吉は、このように身分や体面ばかりを気にするような下級の武士の生活が、いやでたまらなかった。十九歳のとき、諭吉は、とうとう中津を飛び出して、長崎に向かった。当時、日本はまだ国を閉ざしていて、長崎だけが、オランダ船のために開港されていた。長崎は、いわば、外国の事情を伝えるただ一つの窓だったわけである。
  諭吉は、長崎で、オランダ語を三年余り勉強すると、やがて江戸へ出た。江戸には、中津藩の屋敷があった。藩では、そこで、青年たちに、オランダの学問を学ばせようとした。諭吉は、その教師となって塾を開いた。
  ところが、せっかく学んだオランダ語を捨てて、英語を学ばなければならない時がやってきた。諭吉が塾を開いた翌年、江戸幕府は、それまでの方針を変えて、長崎のほかに、横浜や函館などの港を開いて、外国船の出入りを許すことにした。諭吉は、時代の動きをそこに見た。世界の様子を知るためには、英語を勉強することが必要であると悟った。しかし、英語を教えてくれる人は、そうたやすくは見付からなかった。諭吉は決心をして、独学を始めた。熱心に勉強して、諭吉の英語は次第に上達していった。
  その後、諭吉は視察団に従って、三回にわたって、アメリカやヨーロッパを視察した。これら三回にわたる海外視察で、諭吉は「日本は、すみやかに開国し、各国と交流する必要がある。」と、はっきり自覚した。しかし、当時、開国について意見が対立し、諭吉のような考えを持つ者は、西洋かぶれした人間と誤解され、暗殺の危険さえあった。
  諭吉は海外視察を終わって帰国すると、時の年号を取って、塾を「慶応義塾」と名付けた。そして、科学と独立自尊の精神を教育の方針とした。
  まもなく、明治の新政府ができ、江戸を東京と名を改めて首都に定めた。そうして諭吉が考えていたように、日本は開国の方針を採った。
  諭吉は塾で講義するだけでなく、多くの本を書いた。自分の考えていることを、広く世の中に伝えようと思ったのである。一八七二年には「学問のすすめ」という本を出した。その書き出しは「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」という、有名な言葉で始められている。
  諭吉は、一九〇一年、六十六歳でなくなった。時代の先覚者として、また国民の教師として、今日でも、多くの人々から仰がれている。

ファンクション用語
ことづける
学生:あのう、すみません、こちらに李先生いらっしゃいませんか。
係 :今いらっしゃいませんけど。
学生:あのう、じつは二時からの会議にわたしも出るように言われていたんですが、急に用事ができて、出られなくなりましたので、失礼するとお伝えいただきたいんですが。
係 :はい、会議に欠席するということですね。わかりました。お伝えします。

単語
制度(せいど)(名)①
高等(こうとう)(名 形動)〇
平等(びょうどう)(名 形動)〇
進学率(しんがくりつ)(名)〇
及ぶ(およぶ)(自五)〇
係わる(かかわる)(自五)〇③
取り戻す(とりもどす)(他五)〇④

高校(こうこう)(名)〇
予備校(よびこう)(名)〇
手続き(てつづき)(名)②
呑気(のんき)(名 形動)①

福沢諭吉(ふくざわゆきち)(専)〇
百助(ひゃくすけ)(専)〇
小役人(こやくにん)(名)②③
赤ん坊(あかんぼう)(名)〇
坊さん(ぼうさん)(名)〇
生まれながら(副)〇
家業(かぎょう)(名)①
子(こ)(名)〇
定まる(さだまる)(自五)③
家柄(いえがら)(名)④〇
下級(かきゅう)(名)〇
才能(さいのう)(名)①〇
出世(しゅっせ)(名 自サ)〇
早くも(はやくも)(副)①
郷里(きょうり)(名)①
中津(なかつ)(専)〇
すくすく(副)②①
大柄(おおがら)(名 形動)〇
反故(ほご)(名)②①
呼び止める(よびとめる)(他一)④
殿様(とのさま)(名)〇
刀(かたな)(名)③②
けんまく(剣幕 見幕)(名)①
家来(けらい)(名)①
頬被り(ほおかぶり)(名)③
堂々と(どうどうと)(副)〇③
体面(たいめん)(名)〇
長崎(ながさき)(専)③
閉ざす(とざす)(他五)②〇
オランダ(専)〇②
開港(かいこう)(名 自サ)〇
言わば(いわば)(副)〇
藩(はん)(名)①
屋敷(やしき)(名)③
翌年(よくねん)(名)〇
幕府(ばくふ)(専)①
方針(ほうしん)(名)〇
函館(はこだて)(専)〇
悟る(さとる)(他五)〇②
容易い(たやすい)(形)③〇
独学(どくがく)(名 自サ)〇
視察団(しさつだん)(名)④
視察(しさつ)(名 他動)〇
速やか(すみやか)(形動)②
開国(かいこく)(名 自サ)〇
各国(かくこく)(名)①〇
自覚(じかく)(名 他サ)〇
対立(たいりつ)(名 自サ)〇
西洋かぶれ(せいようかぶれ)(名 自サ)⑤
誤解(ごかい)(名 他サ)〇
暗殺(あんさつ)(名 他サ)〇
年号(ねんごう)(名)③
慶応義塾(けいおうぎじゅく)(専)⑤
名付ける(なづける)(他一)③
独立(どくりつ)(名 自サ)〇
自尊(じそん)(名)〇
精神(せいしん)(名)①
書き出し(かきだし)(名)〇
先覚者(せんかくしゃ)(名)③④
仰ぐ(あおぐ)(他五)②

一、…にしても、…にしても(本文)
高校への進学率にしても、大学への進学率にしても、とても高くなり、……
表示无一例外,无论……还是……。
これは移る力が強い病気ですから、大人にしても、子供にしても、感染しないように十分に注意してください。
这是传染性强的病,无论是大人,还是小孩,都要万分当心,别被感染。
植物にしても、また動物にしても、日本の風土や気候によって制限を受ける。
无论是植物,还是动物,都会根据日本风土和气候而受到限制。

二、…に及ばない(本文)
アメリカにはまだ及びませんが、……
接在体言后面表示不如……,赶不上……。接在动词后面表示无须做到某种地步,相当于不必,用不着。
あなたの日本語はだいぶよくなりましたが、李さんにはまだ及ばないよ。
虽然你的日语进步多了,但还是比不上小李的。
わざわざ来るには及びません。電話で知らせてください。
用不着特意来,打个电话告诉我就行了。

三、…にかかわる(本文)
家庭、学校、社会にかかわる大きな問題となっている。
表示关系到……涉及到……。
それはわたしの名誉にかかわる問題ですから、気にしないわけにはいかないでしょう。
这是跟我名誉相关的问题,我不可能不介意吧。
交通だの住宅だの、国民の生活にかかわる問題は先に解決しなければならない。
交通啦,住房啦,不先解决和国民生活相关的问题是不行的。

四、终助词「とも」(会話)
できるとも。
表示当然、一定。
「この電話、お借りしてもいいかしら。」「いいとも。いくらでも使いなさい。」
“这个电话,借我行吗?”“当然,你随便用吧。”
「本当にここは天国なの。」「そうだとも。嘘なんかつくものか。」
“这里真的是天堂么?”“当然是,我还会骗你?”

五、感嘆詞「何を」(会話)
何をのん気なことを言っているんだ。
用于反问,表示说的什么呀。相当于「なんだって」。
何を、ばかなことを言っているんだ。
你在说什么啊,别说傻话了。
まあ、何を、そんな気を使わないでください。
你说什么呀,请别费心了。

六、…にして(応用文)
当時は生まれながらにして、家業も身分も決まっていて、……
(1)接在名词、副词后面,强调某种状态。
不合格の知らせを受け、のぞみは一瞬にして消えてしまった。
收到不合格的通知,希望一瞬间就化为乌有了。
今にして思えば、あの時、彼はすでに自分が病気だということがわかっていたのだ。
现在想来,那个时候,他那个时候已经知道了自己的病了。
(2)接在名词后面,表示时间、场所、情况。
五十にしてはじめて登山靴をはいた。
到了五十岁才第一次穿登山鞋。
一言にして答えることができる。
可以用一句话回答。
(3)表示兼有两种性质和属性,近似于「であって、同時に」。
科学者にして神を信じない者は真の科学者である。
是科学家,同时又不信上帝,这才是真正的科学家。
人にして人じゃない。
长着人的模样,却没有人心。

七、…んばかり(応用文)
兄は刀に手をかけんばかりのけんまくである。
表示几乎要,差点儿要。
子供はころんで泣かんばかりだった。
小孩摔了一跤,几乎要哭出来。
宝くじに当たった彼は飛び上がらんばかりに喜んだ。
中了彩票的他,高兴得几乎要跳起来。

八、そう…ない(応用文)
そう容易くは見付からなかった。
表示不那么……。
当時、英語のできる人はそう多くはいなかった。
那时,会的人并不那么多。
コンピューターの技術はそうたやすく身につけられるものじゃない。
计算机技术不是那么容易就掌握的。

九、…にわたる(応用文)
これら三回にわたる海外視察で、諭吉は……
表示时间范围,或具有空间感觉得范围。
中日両国の間には、二千年にわたる友好往来の歴史がある。
中日两国之间,有着持续两千多年的友好往来的历史。
年末から年始にわたっての書き入れ時に人手不足が続いた。
从年底到年初的买卖繁忙期,人手一直不够。

十、タルト形容動詞(応用文)
堂々と買い物に行った。
这类形容动词由两个汉字组成,在现代日语中只有连用性「…と」「…たる」的形式。
悠々と長江を泳ぐ。
畅游长江。
滔滔たる黄河。
滔滔黄河
坦々とした道。
平坦的道路。